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もじゃりんの日記
│<< 前へ │次へ >> │一覧│ コメントを書く│じっくりとお顔を拝見
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子ども達との面会に非協力な相手方の両親、母親はもちろん知っていたけれど、父親についてはまだ会ったこともない。どんな人物か分からない。ところがいつの調停だったか、先方が調停委員に名刺をわたしたようで、しかも調停委員がボケていて、その名刺を机の上においたまま、僕の方の面接となった。まったく調停委員としては失格ものですな。もちろん向こう側にあるし反対向きなんで、細かくは読めなかったけど、会社のロゴは読めた。それで、そういう会社に勤めているんだな、ということだけは分かった。
それ以来、別に会社について調べてみるなんてことも面倒でしていなかったけど、ここに至って怒り心頭になったので、改めて検索をかけてみた。名前はもちろん分かっている。そうしたらでてきた。写真まで。おお、という感じ。はあ、こういう分野の会社でこういうことをしてる人なんですか。こういうお顔の人なんですか。
考え方や趣味なんかは個人ブログにしか書いていないだろうし、個人ブログなんかはどうせ僕をブロックしているだろうから、わかったことはそこまで。しかしお顔についてはじっくりと拝見させていただいた。こういう人がああいう行動をとるわけね。ふーん、という感じ。
ま、分野も社名もここには書かない。その記事そのものは公開情報だけど、僕とのつながりという点では個人情報だし下手に書くと、またやたらねちっこい攻撃をされかねないから。こういう方とはできるだけお付き合いしたくないし。
僕はこのブログを公開してるから、どうせあちらは偵察にきていることだろう。ま、別にいいけど。
ともかくここ数日、何か気分が落ち込んで、仕事が手に付かなかった。それがあの調停中止に由来していると気がつくのには時間がかかった。あれはあれ、と自分では割り切っていたつもりなんだけど、やっぱり親子の気持ちの問題だからそうとう深いところで煮えたぎるものがあったのだろう。
先方は、貝のように静かに閉じこもってしまった。それが一番有効な策だと考えたのだろう。もしかしたら悪質な手口を教える弁護士がついているのかもしれない。調停なんて出て行かなきゃいいんですよとか、審判なんてお金に関係なければ無視してても大丈夫ですよ、なんてことを教えていたのかもしれない。まあ、どうなんか分からないけど。
とにかく子ども達に会いたいし、子ども達が会いたい気持ちを持っているなら、それを押しとどめるのは罪なこと。罪なことをしている人は罪人。親権というのは権利だけど、それを権力として悪用している。その意味では権力による子供への精神的虐待をしていると言ってもいい。
もちろん、子ども達がこれこれの状態だから今はそっとしておいてくださいとか、母親がこういう精神状態だから今はそっとしておいてくださいとか、それなりの事情を説明してくるなら、それに応じることはやぶさかではなかった。その説明すらせず、裁判所からの何回もの連絡も無視してきたというのは、大人として、社会人として欠陥があるとしか思えない。
まあ、調停でも、そんな話を調停委員や調査官に言った。中立を重んじる調停委員や調査官であるが、今回のアンバランスな状況には向こうも困ってしまっているようで、ま、それは当然だが、僕の話を聞いてくれ、最後には僕に励ましの言葉をかけてくれた。それがとてもうれしくて、しかしながら、もうこれでお終いなんだ、ということが自覚され、心底落ち込んでしまった。
そろそろ復活しなければ。こんな状況でも仕事は確実にやってくる。そして溜まっている。仕事の無慈悲さは、時に悪魔のように思えるが、つらさを忘れさせてくれるという意味では慈悲の観音のようにも思える。
僕の部屋においてある観音像、江戸時代か明治時代のものらしいが、これ、彫り物だからあたりまえなんだけど、いつもじーっとほほえんでいる。このほほえみは救いになる。それが観音なんだろうな。ただし目は冷たく僕を見つめている。やさしい顔の中の冷徹な目。そのお顔を拝見すると、こんどはうーむと唸ってしまう。現実には存在しえないような鋭くしかし優しい顔。
いろいろなお顔があるものだ。 │<< 前へ │次へ >> │一覧│ コメントを書く│ 一番上に戻る│ |