交通事故が多いと「魔の辻」と名付けたりする。これは人間が関連づけをするメンタリティを持っていることの事例のひとつだ。しかし、この場合、その辻では常に交通事故が起こることを意味してはいない。あくまでも相関関係が高いことを意味している。そのことを皆、暗黙のうちに了解している。
さて、「男は単純で、女は感情的だ」についてはどうだろう。たしかにそういうケースは多い。話が感情的になってしまいやすいのは男の場合より女の場合が多い。では、この命題をすんなり受け入れてしまっていいだろうか。いや、ここにストップが働く、いや働くべきだ。相関関係が高いといっても、性差という属性と単純だったり感情的だったりする特性を安易に結合してしまうことには注意すべきだ。属性というのは基本的に変わらないし変えられない。この場合、性差という属性は、単に生まれた時にちんこが付いていたかまんこが付いていたかの違いだけである。それをもって後々の時期における性格の予測をされてしまってはたまらない。しかも全称命題として。
それではなぜこういう言い方をしたがるのか。それは「分かりやすい」からである。性差は見れば分かる。しかし単純か感情的かは付き合ってみないと分からない。だったら簡単に分かる属性を使って特性を予測したら便利だろう、となる。
血液型や星座での占いは、その予測力にそもそも問題はあるが、自分にとっては自明な血液型や誕生日という属性情報に基づいて、特性を判定してくれたり、挙げ句は未来を予測してくれたりするから単純に便利で面白いのだ。
それでは「魔の辻」という言い方も改めるべきだろうか。いや、そんなことはない。あれは安全性に関わる言い方だから、危険度を大幅にアップさせて受け止めておいた方がいいだろうという考え方からのもの。そうであれば、相関が1.0でなくても、そういう言い方は許される。
くれぐれも「ちんことまんこ」に由来する属性から、特性判断をしてしまわないように注意しなければならない。僕だって時々やってしまうことだし・・