いくら才能があっても、それで食べてゆけるとは限らない。分野にもよるし、その分野の才能とは別の能力が必要だからでもある。
そうした人々にとっての隠れ蓑になりうるのが、現在の世の中では大学教授という職。
川本喜八郎のDVDをみていて、英訳を担当したAnn Herringという人の能力に驚いて検索をしてみた。どうやら昨年、法政大学を定年退職した女性らしい。別のところには美人のおばあちゃんと書いてあった。いや美人はどうでもいいのだけど、この人の英訳はものすごい。もう人形劇を楽しむより、その英文のsubtitleを読むのが楽しくなってしまった。
しかし、これだけの才能を持っている人なのに、amazonで調べるとわずかな作品しか残していない。これだけしか出さないのであれば、それで食べてはいけなかっただろう。いや、大学教授に課せられている学生指導という仕事がほんとうに好きだったから、そっちにエネルギーを割いてしまったのかもしれない。それはそれで構わないのだけど、第三者としては残念なことだ。
大学教授にとっての学生指導というのは、報酬を与えるための代償である。今の世の中では才能だけに報酬を与えるようなパトロンはいない。科研なんてシステム的にもゆがんでいるし、生きるために使えるカネでもない。
愚鈍でやる気のない学生の尻を持ち上げるようなことにエネルギーを費やしてしまう大学教授が多いのは残念なこと。ただし、愚鈍でやる気のない大学教授がいることも事実。まあ、世の中というのは神様でなく、人間が作っているシステムだから、現状程度に甘んじるべきだ、という意見も当然ありうる。