ほうほう、
わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています
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だそうだ。僕の大嫌いな検閲というやつ。
さて、どういいかえようか。まずはひらがなにしてみよう。
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質的心理学会あたり、いつまでもGTAだ、ナラティブだといってないで、こうした研究にも目を向けなければいけない。
感覚の研究は多いけれど、基本的に量的な側面について、それも外部から与えられる刺激に関するものばかりだ。精神物理学が扱っているのはその側面。尺度構成法も定数測定法もその意味では基本的に量に関するものばかり。
反面、質的な側面についてはSD法なんかがある程度。そのほとんどが外部から与えられる刺激について。
さて内部感覚。痛みの表現を考えてみればいい。その強さについては精神物理学の方法で測定することもできるが、その質については、シクシクした痛み、ずっしりした痛み、ちくちくした痛みなど、実に貧弱である。しゃせいの快感やエクスタシーの快感に至っては、絶頂感とか、多幸感などという抽象的表現しかないといってもいい。
量的側面については、個人内の相対的関係が心理尺度という形で表現され、感じるか感じないかの閾値が測定されることによって、人々の間における共通性が理解されるようになった。もともと同じような遺伝子で構成されている人間という種族なんだから、そんなに大きな違いがあるとも思えないのだけど、哲学者の懐疑に対して、また心理学者の自己懐疑に対しても、その点ではひとつの安心点を与えたといえる。
しかし質的側面についてはSD法による間接的表現は多用されているものの、もっと直接的な表現について、そもそもの表現語彙の研究すらなされていない。このあたり、研究に取り組む無謀な心理学徒がいるなら、喜んで協力するのだが。もちろん女子学生限定で(^_^;)。