あくまでもSpike Jonesの作品、それにしても・・
Spike LeeとSpike Jonesは別人だ。もちろん。でも尖ってて変わってるという点では共通してる。
それはともかく、この作品。Maurice Sendakの原作とは根本的に違っている。もしSendakがこの映画を高く評価しているとしたら、彼自身、自分の絵本の魅力を理解していない、ということだ。絵本からの期待をもってこの映画を見た僕は、そしてこの作品や「Avatar」や「Alice」が出たのをきっかけにBDプレーヤを買った僕は、率直にがっかりした。
基本的に絵本というメディアと映画というメディアの性格の違いがある。絵本はページの中やページの間を想像力で埋めてゆくもの。かたや映画は映像と音に描き混まれた世界に没入するもの。「つみきのいえ」のようにアニメーションによって想像力を刺激する優れた作品もあるが、基本的には監督の作った世界に没入して楽しみ、同時にその世界に対峙して考えるようなものが大半だ。もちろん絵本についても、それなりの没入感を抱いたりや対峙の姿勢を持つことは可能だが、基本的に与えられる刺激量が少ないため、想像力が作用する余地が映画に比較して大きい。これは、投影法という心理検査が、想像力によって自己の世界を投影させることにより、自己を語らせる仕組みを取っていることと共通している。
原作との大きな違いは、この映画の持つリアリティにある。なぜ実写にしたのか、なぜアニメーションを使わなかったのか、なぜ書き割りやセットにせず実景を用いたのか。そのあたりでの違和感が最初から大きかった。Maxの家庭の姿が実写で始まったところから「あ、これは実写だったんだ。しまった」という感想を持った。「しまった」だったのだ。実写ということを知っていれば買わなかったかもしれないからだ。 先に書いたように映画だって想像力を引き出すような形で制作することが可能だ。しかしSpike Jonesはそうしなかった。「どうしてそうなるの」と思わせるところは多いものの、すべてを描写して説明しようとしている。家出をして森を走り抜けると水辺にヨットがあって、それに乗って大海を越えてどこかの島に漂着する。そもそもこの時点で、ちゃんと家に戻れるの、といいたくなる。でも最後はなぜか巧みに、あるいは幸運にも船出した場所にたどり着いて、ちゃんと家に戻っている。その不思議さを「夢」という形で処理しなかったあたり、Spike Jonesの「強引さ」を感じた。
怪獣たちがでてくる。リアルではあるものの、着ぐるみとしてのリアルさだ。これをどう受け取ればいいのかについてまず困惑する。着ぐるみレベルのリアリティであるために、「Avator」のNaviの世界のような没入感が得られない。生物としてのリアリティが感じられないからだ。こいつら、どうやって繁殖したのか。この皮膚や毛皮のもっている着ぐるみ感は、彼らのリアルな皮膚や毛皮なのか。何食べて、どうやって雲子してるのか。などなどの疑問が湧く。しかも英語がペラペラで、アメリカ人的な名前で呼び合っている。なにこれ。もうその印象が強すぎたために、全く映画の世界に入れない。 戦争ごっこも見ていられない。あんなリアルな戦争をして、「たまたま」なんだろうけど、Maxには土(石っぽかったけど)が当たらなかったからいいものの、あれが当たってたらMaxは死んでただろう。山羊のような奴は腕をもがれてしまうし。楽しくもなければ、教訓的と割り切るにもシリアスすぎる。
ともかく子供向け映画ではない。大人にとっても面白いかといわれれば、僕的にはつまらなかった。