家庭裁判所の事案において、カネがらみのことについては強制力を伴うし、したがわねば強制執行が待っている。それなのに家庭事案については強制力がない。
昨日は第三次の調停の二回目だったけど、相手方はまたも出頭せず。調停員のおじさんおばさんと書記さんとで話をして終わった。調停員という人は素人に毛の生えたような人たちだから基本は常識論。つまりその時の世の中の意見を代表したような発言をする。未来に向けてどう家裁が動けばいいか、なんてことは考えていないようだ。
なんとかして僕を説得して、今回の調停をあきらめさせようという話ばっかりする。うんざりしながら、強硬に自説を主張し、ようやく第三回もやりましょうということになった。もちろん毎回欠席されれば調停は成立しない。当然相手方もそれを知っているからわざとでてこない。でてくれば、既に審判がでているので、なぜそれを守らないのかという話になって、自分たちが不利になることを知っているからだろう。
そもそも審判というのは判決の一種なのだけど、カネの問題でないと強制的な執行を行わないことになつている。そこがおかしい。年に一回という面会交渉を勝ち取ったし、それに対して相手方は不服の申立をしなかったのだから、それを遵守する義務があるはず。それなのに義務を履行しなくても罰則がない。
もし三回目にも出頭せず、調停不調でおしまい、ということになったら、最後の手段として今度は地方裁判所に慰謝料請求を申し立てる予定でいる。そうなれば、以後、あちらは態度を硬化させて会わせようという気持ちが消えてしまうことは確実だけど、自分たちのやってきたことにたいして罰金というカネに関われば、それを支払わねばならなくなる。そういう形で強制的に自分たちの非を認めさせられることは彼らにとって精神的に苦痛なはず。もうそれくらいしかこちらにできることはない。金額の多寡は問題ではない。ともかく慰謝料支払いを命じる判決がでるようにすること。これまでの調停や審判には弁護士を立てずにやってきたが、今度は有能な弁護士を雇うつもり。
一方の子ども達はそろそろ学校でもインターネットが使えるようになるはず。そうすれば僕のサイトを見つけたりしてくれるだろうし、メールが来るかもしれない。当然自宅のパソコンでは設定をされていて、僕のサイトは見られないようにしているだろうけど、子ども達にだって知恵はある。そうなれば、ネットを介して会話ができるようになる。それを楽しみに待っている。