こういうニュースを聞いて「やったな」「やってくれたなあ」「ざまあみろ」といった心中の反応を示す人が、たぶん1%以上はいると思う。「普通の人たち」への恨み。それを発散の機会もなく鬱積させている人たち。多くは「世間から白い目で見られた人たち」「世間に苛められた人たち」と思われるが、そうでなくとも、「世間」というものに対して否定的な見方をしている人もいる。そして、もちろんのこと、何も起こさずに表面、平静を装って生涯を終える人もいる。ダージャーのように作品の世界でそれを昇華する人もいる。
そうした気持ちを持つようになってしまった人たちをどうするかを考えるのも結構だが、そうした気持ちを持たせざるを得なかった世間というもののあり方、世の中というもののあり方を反省する必要もあるだろう。
ただ、平穏無事な生活というものは、そうでない状態からは理想のようにも見えるが、いざ、それ的な生活に入ってしまうと、なにかハレが欲しくなるものだ。祭りというのはそうした平穏なケに対する社会的に仕組まれた昇華の場ではあるが、そうした演出をひっくるめて反感を持つ人だっている筈だ。何らかの「仕組み」に「組み込まれてしまう」ことへの反感。そうしたものを持っている人にとっては、いくら悲惨なできごとであったにせよ、それは心の清涼剤になるのだ。
人間とはかくも厄介なもの。「世の中」を構成せざるを得ないほど多くの人間がいるから、そもそも・・、ということなのだとは思う。 | |