Diary
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2012年09月29日(土)08:28  足の痒み
痒いという字は、いかにも痒そうな字形をしている。良いデザインだと思う。

さて・・若い頃からすねのあたりが痒くなることが多く、掻いてしまうとそこが赤くなり、また掻いて赤くなり、しまいにアザのように残ってしまった。

ようやくにしてそれが治まったと思ったのだが、去年の秋、竹についた毛虫退治をしていたら何カ所か刺されたらしい。肩や首のあたりが痒くなった。併せてすねのあたりも痒くなった。痒いところを掻いていると血がでてくる。その血のなかに痒みの成分が入っているようにも思え、血を出した方がいいのだ、などと考えてしまった。

不思議なことに、痒い場所はあちこち移動する。そのたびに掻いては血を出していた。それが10箇所ほどになった時、すねからふくらはぎにかけて10箇所の痣が残った。それがいまだに消えていない。治りがわるくなったらしい。

最近は太ももの皮膚の下を虫が這っているようなもぞもぞした不快感のすることが多い。APCHIの会場で足がもぞもぞしたので上から押さえたら何かがいて、慌てて立ち上がってズボンを払ったら中からムカデがでてきたのには驚いたが、それに近い感覚がする。本当に皮膚の下に何かがいるような感じがするのだが、見てみても何も見えない。何もいない。それなのに動いてる感じがする。これは何なのか。

2012年09月29日(土)08:21  パソコン死亡
数日前、電源スイッチを入れてもパソコンが立ち上がらなくなった。起動画面が一瞬だけ見えてプスンと切れてしまう。何回か繰り返してみて、調子が悪いのがどこかをみようと側面カバーを外して同じことをやってみた。何回かの後、スパークが飛び、いやな臭いが漂ってきた。パソコンがお亡くなりになった。

原因は不明。マザーボードのどこかからだったようだった。それでもうだめだと思い、周辺機器を外して再利用することにした。もちろんハードディスクにはデータが入っているので取り外した。グラフィックボードはいきているかどうか分からなかったがともかく外した。SATAケーブルは再利用のために取り外した。・・などなど

ドンガラになった箱は廃棄処分することにした。自作する気力があればまだまだ使えるものなんだけど、もうさすがに面倒くさい。

2012年09月28日(金)08:47  現代中国における毛沢東の位置
これがよく分からない。先の反日デモでたくさんの肖像画を掲げる人たちがいたが、反日教育はされていても反毛沢東教育はされていないだろうから

1942年からの清風運動で1万人以上が殺害されたこと。
1958年からの大躍進政策で2000万-5000万人の餓死者を出して国家主席を辞任したこと。
権力奪還を目指した1966年からの文化大革命で数百万-数千万人以上の殺戮が行われたこと。

などは知らない人が多いのではないか(数値はウィキによる)。しかし実権派、現在でいえば超大金持ちや金持ちたち、に対する反発は強いはず。革命を経た中国ではあるが、現状の貧富の格差は革命前と似たようなもの。当然、貧しい人々の間には反発心が渦巻いている。それが何らかのきっかけを得ると爆発する。日本のデパートなどへの暴動もそのひとつ。政府や共産党としては、それは拡大するとまずいので、反対に火消しにまわったが、原因を解決したわけではない。またいつか起きることが予想される。

ただ、そのためには指導者が必要であり、指導者はシンパを組織化する必要がある。その過程で重要になるのが情報の伝達。現在の中国ではネットは政府によって規制されているので、それを利用した反体制の組織化はむつかしい。しかし、それでも紙ベースで組織化が進んでいる可能性はある。

ここ数年内に何かが起きるのではないかと思っている。

2012年09月23日(日)04:55  ぬいぐるみ礼賛
ぬいぐるみはペットと比べて餌をやらなくて良い、シッコやうんこの面倒がない。自律的に動いてくれないのがつまらないとペット派はいうかもしれないが、勝手なことをしないので良いとぬいぐるみ派は考える。動くまねもできるし静かに寝かせておくこともできるし、すべてのコントロールは飼い主にある。

そのくせ姿かたちには今すぐにでも動き出しそうな雰囲気がある。放っておくと動かないが、決して死んでいるようには見えない。生命はないものの、あるかの如くに見える。

放置されていても決して悲しんだり愛情を求めて泣いたりしない。いつも同じ表情をしている。ぬいぐるみの中でも可愛げな口元をしているものは買わない。どちらかというとニュートラルな表情のものが好きだ。だからこちらの期待する感情を投影することができる。こっちが「やあ」といえば、それが一箇月ぶりだったにせよ、そんなことは気に留めずに「やあ」と言い返してくるように思える。

ペットを買うことも考えた。特に猫は可愛い。しかし世話を続けられるかという心配と、海外出張の多さとを考えて、今のところはあきらめている。

2012年09月22日(土)08:41  人間中心設計
いよいよ原稿が98%完成した。表紙も目次も索引もあとがきもつけた。近代の小山社長からも300ページという分量についてはお許しがでた。ありがとうございます。

なんともはや、単著というのはこれが始めてに近い。多変量解析の本を20代、30代でだしたけど、それ以来のこと。

これがでると、ここ数年間、日本語の本を出していなかったので知名度が低下しつつあったけど、またセミナー講師とかの依頼が来るようになるのだろう。まあ母国での地位を確保しておかないと、おぜぜがいただけないし、本などを買う金にも窮してしまう。だからおぜぜは大切。そのネタを出すことも大切。

これから校正や印刷製本に入るので、早ければ今年中にでるだろう。

2012年09月22日(土)08:37  手紙やメールの著作権
やはり執筆者、つまり送り手の側にあるのだろうか。ただ、そこだけに限定されるものだろうか。手紙やメールを「いただきもの」。とすればいただいた本人の所有物でもある。著作権、特に人格権は明らかに送り手のものだが、所有権は受け手のもの。

とすると、受け手が手紙やメールの内容を公開することは是なのか非なのか。よく文豪の出した手紙などが本になって出るが、あれは著者死亡から70年だったっけ、経っているからいいのだろうか。

このあたり尾崎先生に聞いてみなければ。

2012年09月18日(火)04:09  安定すること
たまたまyoutubeでcar crashという映像を見つけて見ていたら、たくさんの衝突事故は安定化に向かう動きであることを感じた。事故ることによって、それまで人知を結集させて無理無理創りあげてきた自動車という人工物やら交通システムやらが、ブチーンとキレてごっつんこ。そのおかげで漸くに落ち着きの状態を得るに至る、という話。改めて考えると、人間というのは、その活動によって不安定な人工物を多産してきた。なんとまあ巧みにつくりあげてきたことか。そもそも人生そのものが不安定の極みでもある。およそ哺乳類以上は、そうした形で不安定を構築しているといえるし、いやアリだって蟻塚をつくるし、ミジンコだって真水を汚濁しているじゃないか、といえば、生命というのは不安定を極めるもの、とも言えるだろう。その不安定はいつか壊れる。そして破壊されたものたちによって安定が作り出される。

2012年09月12日(水)08:20  尖閣
日本政府にとっても、中国政府にとっても、内政の問題から国民の目を逸らすに好都合。サッチャーほどの強攻策も取れない日本とアメリカとの関係を意識する中国の間で、これは長引くことだろう。さらにはプーチンも中国との関係が微妙になった日本に対して色目を使ってる。ロシアをうまく利用することも考えた方がいいだろうて。

2012年09月08日(土)01:12  気楽だね
自分のサイトに書くって気楽でいいもんだ。しかもコメントが付けられないようにしているから、いちいち「ありがとうございます」と書いたりする面倒もないし、余計な反論に目くじら立てる必要もない。

どうもSNSってのが好きくない。他人の書いているものを見るのはいいんだけど、なんでlike、日本語だと「いいね」らしいんだけど、なんて付けるんだ。いちいち反応してくれなくていい。他人の反応なら日常生活で十分フィードバックを頂いている。まあ、日常生活の範囲外の人たちからのフィードバックも得られるよ、と言われれば、まあそれもメリットかもしれませんがあ、でも僕、そんなに世界を広げようとも思ってませんので、ということなのだ。読んでくれることを別にありがたいとも思わないし、アクセス数を増やしたいとも思わない。もちろん一頃mixiなんかやってた頃はアクセス数が気になって、それを増やしたくて仕方なかったけど、なんかうんざりしてきちゃったもんなあ。

そもそもSNSへの書き込みを見てると、たとえばFBの場合、もう明らかに見てくれる人、読んでくれる人を意識したものが多い、というかほとんどそうだ。自分の書いているものもそうなのかもしれんと思ったんで、タイムラインになったのをいい機会と、FBからおさらばした。

ま、しかし、僕ほど自分自分で自分の内部世界に閉じこもってる人間も少ないのかな。

2012年09月07日(金)16:08  体力の限界
何歳であっても体力には限界があるが、その敷居が低くなってきたことを感じた。先週のAPCHIとその後の山陰北陸巡りで歩きに歩いて、一日休んで福岡のHIS。ついに腰が痛くなり、風邪気味となり、一日早めて帰宅した。やはり自宅は良いものだ。

それにしても、そんなに食べていないつもりなのに体重が微増している。どうしたことか。もっと減食しなければならないのだろうか。運動はいちおうやっているけれど、まだまだ足りないのだろうか。ちと嫌になる。

2012年09月07日(金)16:03  人形の家の別読み
イプセン自身は一般に解釈されているような内容を意図して書いたのだと思う。しかし、豹変したノラの発言の「お人形さん」っぽさには、ああ、やはり人形の家から出られない宿命の女を描いた作品なんだ、とも解釈できる。その発言までのお人形さんに安住し夫に対し演技を重ねてきた自分が人形としての自分であるなら、後半の発言内容の稚拙さにみられる自分も人形でしかない。え、どこに泊まるって、仕事はどうする、お金はどうやって稼ぐの、等々、非現実的な御託をのたまっているに過ぎない。これをもって女性解放を描いたと解釈するなら、所詮女は、と言われても仕方あるまい。

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