BunuelのLa Voie Lacteeをみた。最後の注釈がいい。
この映画のなかで、カソリックやそれが生み出した異端に関する部分、特にその教義に関する部分は、厳格なまでに正確である。聖書であれ、古今の神学や聖職者の歴史に関する著作物であれ、テキストや引用はぎこちないものである。
Tout ce qui. Dans ce film concerne la religion catholique et les heresies qu'elle a suscitees, en particulier du point de vue dogmatique, est rigoureusement exact. Les textes et citations sont empruntes, soit aux Ecritures, soit a des ouvrages de theologie et d'histoire ecclesiastique, anciens et modernes.
これだけ宗教を皮肉りおちょくった作品であれば、当然フランスではカソリックから大反発が起きただろう。そのための言い訳ということなのだが、そこには、引用であれば許されるはずであり、べきである、という大前提がある。
しかし引用というものは、その使い方によって、原典と反対の意味にしてみたり、まったく違った新しい意味を産ませることができる。さらにそこに映像が加われば尚のこと。イコンなどの静止画はあっても、引用すべき動画が存在しない教会に対しては、動画像の作成は自由自在。そこにBnuelのやり方が存在しうる根拠があった。
かくして彼は、引用を活用することによって確実に教会を皮肉る作品を作ることができた。
まあ今の日本人からみれば、どうでもいいことにしか見えないけれど、当時のフランスの精神風土においては、やはりまず乗り越えなければならないバリアだったのだろう。