僕も気になっていたことなんだけど、教えてgooに、なぜ映画は2時間で終わるの、という質問と回答があった。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2874574.html
回答をみると、観客の疲労の問題と、一日の上演回数という営業上の理由という二つになっているようだ。 実際、きちんとした統計を取ったわけではないが、ほとんどの映画は100分から130分の間に収まっているといえる。(誰かちゃんと統計を取ってみると面白いんだけど)。
ただ、疲労の問題からすると、そこにも引用されていた大学の授業の90分でも長いと思う。集中力の点から考えると60分がいいところだ。オランダの大学で教えていた時には45分授業で15分休憩だった。これは教える側にとっても楽だったが、講演などを聴いている経験からしても教わる側にも楽な筈だと思っている。だから100-130分が適切とは思えない。どうせその位にするなら150分でも200分でも同じようなものだと思う。映画館やテレビではできないことだが、DVDを見ているときには途中で適当に休憩を入れるから長くても構わない。
営業上の理由はたしかにあるだろうけれど、映画館上映のことを考えない(訳にはいかないのだろうが)ならば、長くても構わない訳だ。
いや、反対に短くてもいい筈なんだけど、90分で終わるような作品は少ない。15分や30分となると短編という扱いになって別ジャンルになる。
どうも教えてgooでは論じられていなかった内容との関係が結構重要なのではないかと思う。小説の世界でも、昔は長大な作品があったけれど、現在はだいたいにおいて300-400頁の一冊でできている。小説の場合は読む時間は人によって違うだろうけれど、ある内容を表現しようとする際に、映画では100-130分、小説では300-400頁という分量というか情報量が必要になってくるのではないか。これは観客や読み手の認識の問題でもある。そのくらいの情報の累積があってはじめてひとつの塊として認識できるようになるのではないか。
もちろん本だって手に持つ重さの問題もあるし、分冊にした場合に第二巻以降の売れ行きの低下は避けられないという問題もある。ただ、電子本になった場合には、一冊の分量に関係なしに保存できるわけだから、その段階でどこまで分量が増えるか、興味深いところだ。
映画が動画像データとなり、書籍が電子テキストになったとき、100-130分とか300-400頁という限界がどこまで変化するものか興味深い。もしかすると変わらないのではないか、という仮説を持ってはいるのだが。