溝口には「偉大な監督」という表現はあてはまらない。しかし手堅く質の高い映画を作れる監督だった、ということはできる。そもそも監督に「偉大さ」がつながるかどうか不明だから、その意味では最上級の監督のひとり、ということはできるだろう。方向性は異なるが、小津や黒沢よりも質は高いと思う。
振り返ると小津は特に非凡というわけではない。人情の機微を描くことに長けていたとは思うが。また黒沢、とくにモノクロ時代の黒沢は、特徴ある映画を作れた監督なので小津よりはいいと思うのだが、その特徴はリアリティを踏み外すことによって生み出されるような類のものであり、また三船というキャラクタに支えられたものでもあった。
それに対して溝口は古典的な原作に基づいた作品が多いため、良い意味でも悪い意味でも手堅い作品に仕上がっている。しかも演出も細部まできちんとしていて、たとえば新平家物語で武士達が帰郷したシーンでは、エキストラの一人一人が細かく息づいた動作をしている。こうした手堅さと緻密さは黒沢にはない。黒沢は実におおざっぱなのだ。
しかしながら溝口の作品は、良くできた映画であるために、さて特徴は、となるとなかなか言い難い面がある。要するに優等生的なのだ。その意味で、モノクロ時代に三船と組んだ黒沢は暴れん坊であり、「面白い」映画を作ることができた人といえる。